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- ローマ大火 - Wikipedia (via petapeta)
ローマ大火(ローマたいか)とはローマ帝国の皇帝・ネロの時代、64年7月19日にローマで起こった大火。
チルコ・マッシモから起こった火災は市内のほとんどを焼き尽くし多くの被災者と死傷者を出した。ネロはこの火災に際して、的確な処置を行い、陣頭で救助指揮をとったといわれ、被害が広がらないよう真剣に対処したものの、火災後のローマ再建で後に記すような宮殿建造を行ったこともあり、市民の間ではネロの命によって放火されたとの説が流れた。こうした風評に対してネロは当時の新興宗教であったキリスト教の信徒を放火犯として処刑した。この処刑がローマ帝国による最初のキリスト教の弾圧とされ、キリスト教世界におけるネロのイメージに大きな影響を与えたが、タキトゥスらローマの歴史家はローマ伝統の多神教を否定するキリスト教に対して嫌悪感を抱いており、ネロの弾圧そのものは非難しながらもその原因をキリスト教とその信徒に求めている。
こうしてキリスト教徒へ迫害を行い、犯人としたにもかかわらず、ネロがローマ復興の際に広大な黄金宮殿(ドムス・アウレア)の建造を行なったため新宮殿の用地確保のために放火したという噂は消えることはなかった。
一方この迫害によって市民の一部ではキリスト教徒に対する同情心が生まれたとも言われる。
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